戦国布武 豊臣秀頼 評価

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ステータス

・レア度:N(緑)

・「東・畿」より出現。

・兵種:足軽歩兵・九鬼水軍(虚弱・戸惑を受けない)

・攻:55(+1.6)

・計:61(+2)

・防:24(+0.6)

・兵:58(+1.8)

計略と兵力が高いが防御は低い。

評価

緑武将離れしたスキルが魅力の武将。

天賦も火力向上によっており、無駄がない。計略ダメージ軽減も後列への配置を考えると有用。

小史前半クラスまでなら1軍として運用してもいいほどのスペックだと思う。副将にするよりかは2軍以降の軍やNPC用など前線で活躍させた方がよい。

虚弱のデメリットがあるため、部隊編成は計略武将を中心にするとよい。

対策としては、基本後列に配置されているので、後列を攻撃できる武将で倒すほかない。

歴史

豊臣秀吉と淀殿の子。幼名は「拾」。

2m近くの太った巨漢で武芸にも秀でていたとされる。

五大老や五奉行といった職制は、幼い秀頼を補佐する為のもの。

秀吉の死去のためわずか6歳で豊臣家を継ぐことになり秀吉の遺命により大阪城を居城にした。

幼い秀頼にかわり五大老の家康が政務をとることとなり、影響力強めることとなる。

影響力の強かった前田利家の死去後、家康と石田三成の対立が深まり、関ヶ原の戦いへと進んでいく。

豊臣家が滅亡するのは関ヶ原の戦いではなく大阪の陣であり、関ヶ原においては戦後家康を忠義者として労っている。

しかし、家康は勝手に論功行賞( 論功の結果、それぞれに相応した賞を与えること。 )を行い、結果全国に分散していた豊臣家の所領220万石が摂津・河内・和泉の直轄地65万石のみと勢力を縮小した。

しかし、豊臣家は摂関家であるため、位階や官職は順調に上がり右大臣に昇進している。

そのごなんだかんだあり、秀頼11歳の時、秀忠の娘・千姫(7歳)と結婚する。しかし千姫とは子宝には恵まれなかった。

その後なんだかんだあり、方広寺鐘事件(鐘に「国家安康」・「君臣豊楽」・「右僕射源朝臣家康」と書かれていたことに対して江戸幕府が呪詛であると捉えて徳川家と豊臣家の対立を決定づけた事件。家康の名が二つに切られているや豊臣家が君主とするや家康を射るととらえたとされる。 右僕射源朝臣家康は単に右大臣源朝臣家康公という意味だそう。)が起こり、真田幸村や後藤又兵衛ら多くの浪人とともに立て籠もり、大阪冬の陣が勃発。

一度は和議を行った(この際堀を埋められ丸裸に)が、和議が破られた(豊臣方が堀を掘り返した)として徳川方が軍を動かし大阪夏の陣が起こり、秀頼や淀殿は自害し豊臣家は滅亡することとなった。享年23歳

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